クイーンズランド大学は1909年12月10日、ニューサウスウェールズ州からの独立50周年を記念して州議会で制定されました。それから4ヶ月後、州における初めての大学、そしてオーストラリアでは5番目となる大学が誕生しました。
1911年、83人の学生(23人の女性を含む)がブリスベンのジョージ通りにある総督官邸で初めての授業に出席しました。
第一次世界大戦が終戦に差し掛かった頃から、高等教育の増加に応じて、研究や教育が急速に成長しました。創立まもない大学はジョージ通りを出て大きなキャンパスを探し始めました。
ビクトリア公園の場所(現在、一部Mayne Medical Schoolが占める)は大学の永住の地として1922年に法によって確保されました。1927年から1929年に、ジェームス・オニール・メイン博士は、彼の妹であるマリー・エメリア・メインと協力して、St. Luciaの274エーカーの土地を取り戻し、永住の地として大学へ受け渡すために、ブリスベン市議会に6万ポンドを提供しました。
西インド諸島にあるサトウキビ畑のSt. Luciaにちなんで名付けられたそのエリアは、元々は砂糖やクズウコン、コットン、とうもろこしやパイナップルなどの農園でした。1893年の洪水によって流されてしまった砂糖精製工場は、現在大学のボート小屋がある場所で運営されていました。
資金不足は開発を遅らせました。大学は、農務省管轄の農学校としての使用のために、1938年3月にフォーガンスミスビルが着工されるまでの間、州政府にその土地を貸与しました。
のちにフォーガンスミスビルと名付けられた最初の建物は、1939年に完成しました。第二次世界大戦ではそれを軍事目的に転用し、南部西太平洋の陸軍連合のための高度本部として最初の役目を果たしました。大学のジョージ通りからSt. Lucia地区への移転は1946年から1972年の間に完了しました。
1990年に、高度教育である総合大学やカレッジの二元システムを撤廃して、国家統合システムの一環として、大学はクイーンズランド農大学(現在のGutton Campus)と合併しました。そして1999年に、Ipswich Campusは、オーストラリアにおける最初で専用の、完全インターネット対応のキャンパスをオープンしました。
全体学生数 | 53,650名 |
現地学生数 | 35,600名 |
留学生数 | 18,000名 |
大学院生数(リサーチ) | 4,490名 |
大学院生数(コースワーク) | 14,020名 |
学部生数 | 34,020名 |
教授(Academic Staff)数 | 2,810名 |
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